後藤工務店の歩み

沿革

明治16年 創業 初代
後藤 梅五郎
現在の横手市平鹿町にて大工の棟梁に弟子入り。宮大工の修業も兼ね、内弟子、年季奉公を終えて独立。出身が現在の大仙市払田であったことから、通称払田大工と呼ばれた。数多くの弟子を育て、没後弟子たちにより石碑が建てられ、現在もこの地に建立している。当時、木材で歯車を組立て時計を作ったという逸話も残されている。
昭和元年 2代目継承 2代目
後藤 英司
宮大工の棟梁として神社仏閣の建築を継承。後藤建築と称す。 交通の便、商売の利便性を考慮し、現在の地、横手市十文字町に移転、企業拡大を図る。初代同様弟子の育成に尽力する。
昭和11年 移 転
昭和29年 3代目継承 3代目
後藤 英夫
先代が築き上げてきた多雪地に適合した社寺建築の伝統技法と近代工法の融合に努力し、建築の質を落とさずに工期の短縮を達成した。数多くの神社仏閣の建築に功績を残し、在職中には60名程の見習工を養成した。
昭和48年 社名変更 後藤建築を 合名会社 後藤工務店 と改称し代表社員に就任。
平成14年 4代目継承 4代目
後藤 英子
先代達の伝統を継承しつつ、現代人の住環境に合わせた建築方法を生かし現在に至る。
平成15年 代表社員に就任。

当時の写真

昭和初期

  • 初代目 後藤梅五郎

  • 中央 荷車乗座
    2代目 後藤英司

昭和20年代後半

  • 桐善寺本堂 上棟風景
    前列中央 2代目 後藤英司

  • 桐善寺本堂 上棟風景
    前列中央 2代目 後藤英司

  • 桐善寺本堂 上棟風景
    S28年竣工  S42年焼失

  • 桐善寺本堂 上棟風景

  • 横手市 月山神社 上棟風景
    前列中央 3代目 後藤英夫

  • 横手市 月山神社 上棟風景
    中列向かって神主左横隣り
    2代目 後藤英司
    前列中央 3代目 後藤英夫

  • 槍カンナ 作業風景